【このブログは、つなサポ相談員として2022年5月23日に書いたものを再掲しています】
今日は、私たちが日頃抱える悩みなどを、荷物というイメージでちょっと書きつづってみたいと思います。
私の中で今でも印象に残っている、あるママの言葉なんですが、3人目のお子さんを出産された時に、
「子どもが2人の時は、自分の2つの手をそれぞれ一人ずつに差し伸べられていたからいつも子どもに対してしっかり手を差し伸べなければと思っていたけれど、3人になったら、自分の手は2つしかないからどう考えても、3人同時に手を差し伸べるなんて無理なことなんだと気がついたらとっても楽になったんです」
とおっしゃっていて、それこそ目からウロコでした。
お母さんたちは、大切な命だからこそ、その責任感から「ちゃんと育児をしなきゃ」「母親としてしっかりしなきゃ」と身を粉にして毎日育児に奮闘されています。
これは子育てに限らず、介護されている方もそうでしょう。
更には、介護や子育てだけに限らず、家族や自分にとって大切な人が困っていたら、自分ごととして、なんとか力になりたいと思うものです。
大切な人が苦しんでいる姿を見るのは本当に辛いことでもあります。
どうにかして笑顔になってほしいと心から願います。
これは当たり前にわいてくるとても自然な気持ちです。
そこで、今日のブログのタイトルのお話です。
なんとか力なりたいと奔走しているときによく起こるのですが、大切な人が悩んでいることがなかなか解決していかないときに、解決しないことに自分自身が悩み、解決していかないことに自分のことを責めたり、自分の力不足に落胆したりという思いをしたことってありませんか?
特に親子関係では、悩みの持ち主である子どもよりも、いつの間にか親の方がその悩みを抱えてしまっているということが起こりがちです。
先程の荷物のイメージでいうならば、親が子どもの荷物を持ってしまっている感じですね。
そんな状況だったら心配でしかたなくて、無理もないです。
でも、そこでちょっと冷静な視点もあったほうがいいかな。と個人的には思います。
こんな時に私がいつも心がけていることがありして。
子どもも含め、大切な人か悩んでいた時にもちろん、話は聞きますが、それだけに留めています。
ひとつやっていることは、悩みの持ち主がSOSを出したいときに、そのときはいつでも力になりたいと思っているということを伝えることです。
わかりやすく言うならば、見守るという感じでしょうか。
実は、見守るってめちゃくちゃしんどいです。
それが自分の子どもなら、悩んでいる姿をみるのは胸が張り裂けそうなくらいしんどいです。
でもね、自分の力で人生を歩めるようになってほしいと思っているから、荷物は自分で持ってもらって、私はそれを代わりに持つのではなく支えられる方がいいかなと思っています。
こんなふうな視点を持つようになってから、随分とじぶんじしんが楽になりました。
だから今も、大切な人が悩んでいたときには自分自身に
「その荷物は誰の荷物?」と問いかけるようにしています。
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